25年の人生と約1年の壮絶な闘い。

2014年12月8日午後10時10分
大切な大切な命が手の届かないところへ逝ってしまいました。



今から1年前2013年12月
くぅパパことTより「涼介の顔がむくんでるねん。」と聞かされました。
このときの私は塩分の取りすぎ又は水分不足など、自分のごく少ない経験から、正直この程度の心配しか思い浮かびませんでした。。。

年末私の母が倒れたこともあり、意識はそちらの方にそそがれていたんです。

年が明けても浮腫みは取れず、今度は腎臓がおかしいのではないかと心配になりました。

その時実は心臓疾患を疑う診断があったらしいのですが、Tは私に要らぬ心配をかけまいと、私の母が退院するまで黙っていたんだそうです。


精密検査の結果告げられたものは「縦隔腫瘍」という診断でした。
初めて聞く名前でした。
紛れもない癌です。
余命という言葉も同時に聞いたとき、一瞬私の心臓が大きく収縮し、止まったかのようでした。

なんでこんなことに……
震えました。



涼くんは「自閉症」という個性をもった子でした。



そんな子にとって今の世の中はきっととても生きにくかったと思います。
しかも、涼くんが小学6年生の時、涼君の姉、妹、そして涼くんを残し、実母が家を出ました。
その後、Tは必死に3人の子供を育てました。
特に自閉症の涼くんはほとんど何も一人できない状態でしたから、Tが本当に根気強く1から教えました。
洋服の着方、歯の磨き方、お風呂の入り方から始まって信号の渡り方、そして偏食をなくすことまで・・・・

本当は教えるよりも親が代わりに
「着せてあげる」
「磨いてあげる」
「洗ってあげる」
「連れて行ってあげる」
そして「好きなものだけ食べさせる」
その方が楽なんです。
実際に母親はずっとそうしてきたんだそうです。

でもそれじゃ生きていけない。
だから、Tは「前身ごろ下にして服を置いて、先に袖を通して次に頭を入れる!」
というように、涼くんが泣きながらも繰り返し教えていました。
さらに、通学路を何度も何度も一緒に歩き交通ルールを教え、
覚えられたと思ったら、今度は何日も何日も涼くんの後をこっそり追い、危なくないか確認して・・・
と、二人で闘って一つ一つできるようになりました。

いろんなことができるようになっても、彼が生きたこの世の中は決して生きやすい場所ではなかったはずです。
トラブルが起きても事情をうまく説明できないので、父子でひたすら謝るしかなかったり、
車にはねられても何も言えずに運転手が誰だか特定できなかったり・・・・・

それでも涼くんは大好きなもの、楽しみなことを常に頭の中に置いて生きてきたんだと思います。

涼くんが好きだったもの。
プリキュア(オールスターズの名前は37名全部言えたよ。)
太鼓の達人
さまざまなパチンコの絵柄
テレビCM(ドン兵衛、アフラックなど)

好きだった人。
1位 お父さんくぅパパことT
2位 くぅママ(これは私にとって自慢であり誇りです。)
3位 おばあちゃん
4位 PBのHさん(涼くんが通っていた作業所の方)

楽しみにしていた行事
PBの土曜プログラム(お出かけしたり、イベントごとがあったらしいです。)
お誕生日のケーキ
高槻祭り(いか焼きやたこ焼き、プリキュアの綿菓子など)
お盆のお墓参り(Tとおばあちゃん、涼くんそして私も参加の4人で行くのが定番でした。)

ごくごく些細なことをものすごく楽しみに生きていた涼くん、
我々のようにたくさんの欲などにまみれてしまっている有象無象の人間ではなく、
純真無垢な人を憎むことも知らない子が、どうして若くして命を落とすような病気にかかってしまったのか。

本当に代わってあげたかった。。。。

入院生活も涼くんにとってはとても困難だったと思います。
「縦隔腫瘍」とは左右の肺の間にある部分で心臓、大血管、気管、食道、リンパ節などがある空間のところにできる腫瘍のことで、発見時16cmにもなっていたどうです。
空間に出来るので、自覚症状はほとんどなく毎年受けていた健診にも何も異常が見られなかったことから、急速に巨大化したと思われます。
すぐに入院、抗がん剤治療が始まりました。。。
入院初日「今日は病院にお泊りね。」というと、
「今日はお家に帰れないんだ・・・・」と悲しいそうな顔で言っていました。
私は涼くんが入院生活に耐えられるかどうかとても心配でした。

でも、涼くんは本当に頑張りました。
抗がん剤治療は理解している人間でも辛い治療で、吐き気、体のだるさ、脱毛・・・
そんな辛い状況の中でも、
『頑張ったら早くお家に帰れる。』
『元気になったら3人で動物園に行く!』
そう言い聞かせながら涼くんは本当に頑張りました。

入院中しんどいはずなのに、私が行くと必ずものすごく喜んで笑顔で迎えてくれました。
帰るときは、「ありがとう。気をつけてね~。」という優しい言葉もかけてくれました。

そんな風に頑張ったおかげで、夏には抗がん剤の合間をぬって退院することができました。

楽しみにしていたお墓参りも一緒に行けるまでに回復。
油断はできないまでも少し希望が持てた時期でもありました。
「ガンを小さくして手術をする!」
これが我々の目標でした。

ところが、9月の初め肝臓に癌の転移が見つかりました。

余命宣告は長くても「1年生きられるかどうか」でした。

初めの癌診断から何度も泣いて、それでも希望を捨てずに、
退院できるまで回復したことを本当に喜んだのに。

我々の目標は
「一日でも長く生きていてもらう」
「最期の時は苦しむことのないように」に変わり、

そして初めの入院時から引きつづき、
『涼くんの前では絶対に涙を見せない、不安がらせない。』でした。

私たちは涼くんからたくさんの大切なことを教わりました。

大好きな人に「大好き!」と伝えること。
希望をもって頑張ること。
人を憎まないこと。
笑顔の大切さ。

Tは娘たちももちろんのこと涼くんのおかげで父親として成長させてもらったと言っています。

せめて少しだけでも恩返しをしたかったんです。
だからその時間を私たちに与えてほしかった。

11月初め肝臓の数値が著しく悪い数字を示し、余命1週間を宣告されました。

効果はどんどん下がっていく抗がん剤と痛み止めのモルヒネを打つ日々。
「お正月はお家に帰るんだ!」って自分で自分を励ましていた涼くん。
一週間の余命宣告に勝ち抜き、4日間の退院許可も勝ち取りました。
涼くんの生命力にほんまものの奇跡が起こるんじゃないかと希望を持ちました。

ですが、次の抗がん剤のために再入院した翌日
12月8日午後10時10分
息を引き取りました。

ずーっと頑張ってきたのに、いつも「頑張ろうね!」ばっかり言ってごめんね。
私たちのわがままだったのかもしれないけれど、もっと一緒に居たかった。。。

涼くんは天使になった後もなお私たちのことを助けてくれています。
そして、いろんな方のやさしさに触れることができていることも、涼くんのおかげだと思っています。
感謝してもしきれないほどです。
涼くんに出会えて本当に幸せでした。
別の世界で必ず再会したいと思っています。




-----ここまで読んでくださった皆様へ----
このようなつたない文章力での長文を読んでいただき本当にありがとうございます。
長らくお休みしていたにもかかわらず、変わらず会いに来てくださって本当に感謝しております。
自閉症であった涼くんは、お友達も自閉症の子がほとんどで、彼が生きた記憶を残す人はごく限られています。
こんなに素敵な人間が、25年という短いけれど太くたくましく生きたという証を残したかったんです。
涼くんのすばらしさは、私の文章力ではなかなか伝えきれないのが残念です。

正直未だに病院へ会いに行けばあの笑顔で迎えてくれるような気がしてなりません。
でも、きちんと受け止めて前に進まなければなりません。
このブログを再スタートの号砲にするべく書かせていただきました。

今は毎日涙するということはなくなりました。
でもこうして文章にしてみるとやはり、涙が止まらなくなりますね。




















テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

プロフィール
くぅママ→ くぅを溺愛するダメダメ親バカ

くぅ☆ママ

Author:くぅ☆ママ
くぅ:ミニュチュアダックスフンド☆レッド♂
2002年3月23日生まれ
2016年6月5日天使に14歳2か月

スタンダードと間違われるほどのデカさ。
14歳まで8キロ台をほぼキープ
気分はいつもダイエット中♪
好きなもの→おやつ・おもちゃ
ママの職場で癒し担当課長として最後まで勤めあげました。。。。というのは口実で、ママの監視をメインでやってました。

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